三見

文治元年(1185)檀ノ浦の戦に敗れた平家の武将「三位中将重衝」は、安徳天皇を奉じ、河内の坂井浜に上陸、玉越山を通り今の三見に入られました。
これより、武将の「三位(さんみ)」を地名として呼ぶようになりましたが、いつの頃よりか、書き誤って「三見」と書くようになりました。




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